〜袁褧倣宋刊六家文選系の版本一種 〜

 『文選』刊本の諸本のうち、五臣李善注本には、古い『文選』テキストを想定する際に不可欠なものが少なくない。かつて、斯波六郎氏は『文選』諸本に詳しい分析を加え、版本の系統を区分した(注1)。その中で、五臣李善注本については、@足利学校・宋明州刊本、A静嘉堂文庫・明袁褧倣宋刊本、B神宮文庫・明丁覲重刊本、C(偽)張守校正本、D慶長古活字本、E寛永古活字本、の6種を挙げて精微な考証を加えている。斯波氏の分析対象の版本としては、当時、上記の6種は最大限の範囲にあったと思われるが、その後、袁褧が拠った六家文選の祖本である宋刊六家文選が台湾・国家図書館に所蔵されることが判明しているが、惜しいことに完本ではない。この他、宋刊本に拠ったと考える朝鮮版六臣注文選も注目されるようになり、筆者も朝鮮版文選を取り上げる中で、その五臣李善六臣注本について考察を加えたことがある(注2)。
 このたび、ここで取り上げる版本は、明の袁褧倣宋刊本の六家文選の流れをくむ版本である。袁褧倣宋刊本六家文選及びその系統刊本は、斯波氏が詳しく考証される通りで、小文もそれを下敷きにしている。袁褧倣宋本六家文選の原刻本は、静嘉堂文庫以外では国立公文書館(旧内閣文庫)と京都大学人文科学研究所(注3)、及び九州大学に所蔵される。袁褧倣宋刊六家文選の構成は、

昭明文選序・裴宅印売倣宋刊記
李善上文選注表并国子監准勅節文
呂延祚上五臣注文選表
目録
本文(半葉11行、行18字、注双行、有界、左右双辺、白口、匡郭内縦24.6cm×横18cm)
巻60末・呉郡袁氏刊記
嘉靖己酉年文選刻跋
という体裁の他、巻20末などに刊記等がある。ただ、国立公文書館蔵本には、静嘉堂文庫蔵本と比べると、斯波氏の提示する各巻の「標識」以外にも「標識」があるが、これは斯波氏が省略したか、見落としたものか、不明であるが、斯波氏は同板とする。国立公文書館本の巻頭には、戴金(貞礪)の墨書識文2、及び戴金の印刷による読書の心得が置かれている。
 九州大学本は、『日本九州大学文学部書庫明版図録』に拠る限り(注4)、静嘉堂文庫と同じである。斯波氏は原刻本の後搨本として、神宮文庫本と広島大学本とを挙げ、神宮文庫本には「裴宅印売」倣宋刊記があるとし、広島大学本にはないとする。後者の広島大学本を思わせるものは、他に東城書店待賈品があり、これには倣宋刊記や嘉靖跋文がない。版式や字体など、一部の比較ではあるが、覆刻もしくは翻刻というよりも、むしろ刊記等に手を加えた重印のようにも見える(注5)。斯波氏の見解を参考に袁褧倣宋刊本の系統を図式化すると、少なくとも順序については、以下のようになろう。

ただし、広島大学本などの祖本が原刻本であったか、後刻・後印本であったかは不明である。明刊本の出版文化研究に際しては重要であるが、その反面、文選研究においてはさほど問題とする必要はない面もある。その上で、斯波氏が紹介されなかった袁褧倣宋刊本の系統本を紹介し、この版本が明代嘉靖年間以後に読書人に与えた影響の大きさについて示そうと思う。

 袁褧倣宋刊本六家文選については、斯波氏は静嘉堂文庫本を紹介し、他の明刊諸本と同一視すべきではなく、宋刊本にも優れる刊本として重視している。この見解は正しく、朝鮮版五臣李善注本とともに重視すべき版本であるが、袁褧倣宋刊本の『文選』研究史上での位置づけはここでは触れない。
 問題なのは、斯波氏が言うように「袁氏倣宋本と称する者が数種有る」ことである。斯波六郎氏は、『天禄琳琅書目』巻10、丁丙『善本書室蔵書志』巻38、ケ邦述『寒痩山房鬻存善本書目』巻3、『曝書亭集』巻52などの記述から、静嘉堂文庫蔵本が『天禄琳琅書目』で取り上げられる版本と一致し、袁氏原刻本であり、その他に袁氏倣宋刊本系統に属す刊本が作為を加えた刊本を含め多数あったと指摘している。筆者が所見した袁褧倣宋刊本の原刻本は、旧内閣文庫(国立公文書館)本と国会図書館本(注6)である。斯波氏が袁氏倣宋本の系統として挙げる刊本は、明・丁覲重刊本及び(偽宋)張守校正本であるが、後者は南宋・紹興重刊本と偽託するから、論外として扱わない(注7)。
 前者の丁覲重刊本であるが、これには丁覲重刊原刻本の他、その重印本(重刻本)と見做すべき版本がある。すなわち、ここで紹介する版本である。丁覲重刻本、即ち丁覲本に対して重印・重刻はまぎらわしいので、再印・再刻本と家蔵本を称す。斯波氏が紹介する神宮文庫本と家蔵本とを比較すると、家蔵本は以下の体裁となっている。
 封面はなく、「梁昭明太子撰」の

  1. 「文選序」(5葉)、第5葉b面には「裴宅印売」倣宋刊記はない。
  2. 「上文選注表」(李善表)(2葉)
  3. 「進集注文選表」(五臣表)(2葉)
    「梁昭明太子蕭統撰/唐李善・呂延済・劉良・張銑・李周翰・呂向註/皇明 重刊」と標記する目録を続ける。
  4. 「六家文選目録」(36葉)
       目録の次から本文に入る。
  5. 「六家文選巻第一
    梁昭明太子蕭統撰
    唐李善呂延済劉良張銑李周翰呂向註
    皇明 重刊

    京都上・・・」
    巻二以下も同じ。ただし、巻二十三の巻首は、
    「六家文選巻第二十三
       梁昭明太子撰
        唐五臣注
        崇賢館直学士李善注     」
とし、本書の祖本が袁褧倣宋原刊本であったことを示している。巻四十一末には「蔵亭」の刊語がある。この語句の意味は不明であるが、袁褧倣宋本巻四十六末に「嘉靖丁未季夏晦日蔵亭記」とあるので、宋刊本を保管し、重刻の版本を貯蔵していた場所と言うようなニュアンスがうかがわれ、袁褧倣宋本系にはいずれもあることから、袁褧が宋刊本を重刻する際に付したものであろう。袁褧倣宋原刻本巻五十二末にある「刊語」と同文が、巻五十二末にあるが、斯波六郎氏が丁覲刊本で指摘するように「出揮慶録」と誤記を踏襲している。次の巻五十三巻首には、「皇明 龍丁覲重刊」とあり、重刊が丁覲によって行なわれた痕跡を留める。巻五十六末には、「戊申孟夏十三日李清雕」一文のみ雕板する。巻六十末に袁褧倣宋原刻本にある「呉郡袁氏善本新雕」の刊記はなく、「皇明嘉靖巳酉袁褧跋」が留められる。
 版式は四周単辺、匡郭内 縦23.9cm×横16.1cm、半葉10行、行18字、注26字、竹紙本、版心は白口・単白魚尾、版心下に刻工名があるが、袁氏倣宋原刻本のそれとは異なる。「寺沢氏蔵書印」の他「晩香斎主人」(巻60末)印文不明印(巻頭)の旧朱印がある。刻工名として「張一・刘山・張小四・張(存)義・張月・承祖・丘・黄一・黄明・呉・陳・蔡・南仙・楊久安・十・葉杰・葉松・楊明・鄭四・陳富・江文・盧玉龍・蔡三・魏智(知)・余世・王応・陳慶・葉仕浩・刘焯・呉隆」などがある。斯波氏が紹介する丁覲刊本は、各巻頭に丁覲重刊と記されているとするが、本書は「皇明 重刊」とするので、「丁覲」の文字を削ったと見られ、丁覲本の重印(再印)、もしくは重印本(再刻本)に該当すると思われる。丁覲本も本書も、注釈人の表記を時代順に李善、次いで五臣とすることは、五臣李善注の実状を改めようとするものであるが、本文注文は五臣本を採用する五臣李善注本であって、言わばつけ焼刃的な処置である。しかし、袁褧倣宋原刻本の誤字を訂正しようとする点が見られるのは、その版本の進歩を見るべきであろう。今後、袁褧宋原刻本が依拠した宋刊本広都県裴宅刊本の性格を考える上で、台湾国家図書館蔵宋刊六家文選とこれら袁褧倣宋本系統の明刊本と比較検討を進める必要があろう。このことは、同時に、明代嘉靖年間に読書人たちが宋刊本に対して懐いていた善本観、旧代の文学等作品に対する要求などについて明らかになると思われるし、当時の書肆を含めて出版活動の状況についても関係して来よう。
 袁褧倣宋刊本の出版は、家刻本から出発し、多種の異版を再生産して広範な文人に支持される営利出版へと拡大した一つの好例であろう。丁覲刊本系統が巻末に袁褧の跋文を残したのは、それを積極的に肯定し、支持した結果であろう。原刻本が白綿紙本であったのに対し、再刻本が竹紙を用い、大きさもやや小さくしたのは、その流通のためにコストダウンを図ったものと推測される。
 世上に袁褧倣宋刊本と称する版本は多いが、白綿紙本でなければまず後刻本と考えても良いであろう。
 小論作成後、神鷹徳治氏の丁覲刊本をめぐる考察がある(注8)ことをweb上で知り、早速拝読した。丁覲刊本系に台湾国家図書館本、無窮会図書館本、東洋文庫本、神鷹氏蔵本各版本があることがわかったが、これら3種が神宮文庫本と完全な同版か否かについては、「同版の関係」としかわからなかった。後日、教示を得ようと思っている。(磯部 彰)

  1. 注1)斯波六郎氏『文選諸本の研究』(斯波博士退官記念事業会、1957)
  2. 注2)磯部彰『朝鮮版《文選》の総合的研究』(科学研究費報告書自刊、2002)
  3. 注3)注1斯波氏論文p48
  4. 注4)周彦文氏『日本九州大学文学部書庫明版図録』(文史哲出版社、1996)p264〜266
  5. 注5)『東城書店目録』No.105(2004−1)巻一巻首の図がある。店頭で拝見した折、嘉靖倣宋を示唆する刊記類がない点に気づいた。版本としては大型の保存の良いもので、重厚感があり、袁褧倣宋本に準拠したように見えた。
  6. 注6)国会図書館本は、もともと尾張藩旧蔵本であった。「張府内庫図書」印あり、白棉紙本。
  7. 注7)斯波氏旧蔵張守校正本は、広島大学のホームページで巻頭と巻一巻首が見られる。「皇宋」の文字の上に印章が捺される点など、書誌学研究専家が指摘する仮託の模範ケース?かもしれない。
  8. 注8)神鷹徳治氏「六家文選丁覲刊本について―『文選諸本の研究』補正(二)―」(『中国文化論叢』創刊号、1992)