〜明朝内府旧蔵の『明倫大典』〜

■明の楊一清等の奉勅撰。

 東北大学附属図書館蔵、二十四巻23冊(巻三・1冊欠)。明・嘉靖年間内府原刻本。全長縦38.5cm×横23.2cm、匡郭内26.3cm×16.9cm、半葉8行・行18字。四周双辺、版心―【〈明倫大典〉】―、黒口、双魚尾。
 明の第11代皇帝である武宗正徳帝が嗣子なく没した後、第9代憲宗成化帝の孫にあたる朱厚が興王府より紫禁城に入って帝位(大統)を継承し、世宗嘉靖帝となった。その時、嘉靖帝の北京入城の儀礼から、生母の迎え方、生父興献王の尊号と祭祀をめぐる紛争が引き金となって、やがて朝廷をゆるがす政争となって行った。大礼の争議である。嘉靖帝は帝意に沿った意見を翰林学士の方献夫にまとめさせ、それを礼部から「大礼集議」として嘉靖4年に天下に頒布した。ところが、その書に不備な点があったので、嘉靖6年正月、吏部尚書費宏らに改編を命じた。やがて、改編が終了し、「大礼全書」が出来上がった。7月、嘉靖帝は勅命を下して書名を『明倫大典』と改め、7月6日に到って書物は完成の運びとなり、ここに大礼問題の結着を見た。その後、嘉靖帝は、実父興献王を睿宗皇帝と追称したのを始めとし、旧制を次々改めていったのである。
 『明倫大典』の版本は、東北大学のほか、日本国内では内閣文庫及び京都大学人文科学研究所にそれぞれ1本が所蔵される。国外では、アメリカ議会図書館に敬一主人(国、清・世祖の庶兄)旧蔵の明殿本十二冊、北京大学には翻刻本らしき八冊本が所蔵されると言われる。(注)
 内閣文庫本は全14冊、24巻であるが、淡茶紙表紙で線装本、書題簽は「明倫大典 序/巻一」と墨書される。日本での改装本である可能性がある。第一冊「御製明倫大典序」の第13葉a面に記される。「嘉靖七年六月初一日」の上に「広運之宝」印は捺されていない。白棉紙本で、汚損はない。巻数と冊数との関係は、第1冊(序・巻一)、第2冊(巻二・三)、第3冊(巻四・五)、第4冊(巻六・七)、第5冊(巻八・九)、第6冊(巻十・十一)、第7冊(巻十二・十三)、第8冊(巻十四・十五)、第9冊(巻十六)、第10冊(巻十七)、第11冊(巻十八・十九)、第12冊(巻二十・二十一)、第13冊(巻二十二・二十三)、第14冊(巻二十四・後序)である。御製序全文は濃墨で印刷されるが、巻一より巻六までは、全体に淡墨で印刷される。各冊の巻頭第一葉は、淡墨で印刷される傾向にあるが、その理由は不明。東北大学本とは、明らかに装訂や蔵書印の有無に差異がある。 (磯部 彰)

(注)王重民『中国善本書提要』(上海古籍出版社。 1983)P157〜P158「明倫大典二十四巻」

 

『明倫大典』巻一巻首(東北大学附属図書館蔵)