〜加州白山金劒宮版『大般若波羅蜜多経』〜

 中国仏教の影響を受けた東アジア諸国では、本家の中国をはじめとして、様々な形で仏教の経典を雕印した。ごく最近入手した白山版の大般若経もその一つで、経典本文から見れば、日本では奈良写経よりはるかに時代を下り、重要性は薄い。しかし、印刷・出版文化の方面から見れば、応永十八年(1411、永楽九年)刊行ということで、室町前期の地方文化の一端を物語るものとして、看過できないものがある(注 1)。手元にある存巻は、巻50、巻128、巻142、巻215、巻222、巻226、巻234、巻281、巻334、巻410の折本10帖である。
 大般若経の開版で有名なものに、江州佐々木崇永版―康暦元年(1379)―があるが、白山版もそれに遅れること三十余年にして加賀の地にて刊経がなされたわけである(注2)。ちなみに、北陸地方では能州石動山で「仏説如意虚空蔵菩薩陀羅尼経」が、永和二年(1376)に開版されている。また、能登得田(志賀町)に鎌倉時代より地頭職を得ていた御家人得田氏は、室町時代の得田章光の時、いわゆる得田版法華経(滝谷妙成寺蔵 応永二十二年版木)を開版している。
 本経を開版した金劒宮は、白山七社の一つで鶴来に建立されて劒ヶ岳に鎮座する神霊を祭る。「源平盛衰記」などにも記され、白山本宮と時々衝突するほどの勢を持った。本経の刊行後ほどない応永三十三年には、火災にて拝殿以下を消失した。
 当該刊本の書誌は以下の通りである。

 日本・応永十八年(1411)刊、折本存10帖、巻50他。半折縦23.7〜24.6?×横9.4?。うす茶の表紙に外題が墨書にて、「大般若経巻第二百三十四」と記される。帖首題署は、「大般若波羅蜜多経第/初分難信解品第三十四之五十三 三蔵法師玄奘奉 詔譯」と記す。版式は、無匡郭、半折5行、行17字。拍子から見ると、巻50、巻234、巻281の3帖は表紙が改装された可能性がある。巻尾頭は、「大般若波羅蜜多経巻第二百三十四」とし、その後帖末に7行にわたって超胤の刊跋を附す。

以件摺寫奉施入當社寶殿矣冀経王
功力周遍于十方無邊之群類預巨益畢竟
空恵廣敷于法界無量之含識獲勝利
殊社中攘災招福楽籍此満足施主現當
望於茲成就而已
應永十八年夘辛六月朔日
加州白山金劒太神宮住侶權律師超人胤白敬」

 刊記の後、梵字一文字と「貞澄」の墨書がある。

 本家移転は金沢市立中央図書館に巻四十六が所蔵される。これは、英人・ホーレーおよび反町茂雄経由で収納された。帖首上部に「金劒宮」の墨書があることは、このたび入手した折本と同じで、おそらく、本来いずれも白山金劒宮に所蔵されていたものが、廃仏毀釈あたりに宮外に流出したのではないか(注3)。但し、巻226の折本表紙に「法□寺□堂當住」とあることから、白山外の寺院の旧蔵品であったことも十分あり得る。東京都立中央図書館にも巻564一帖が所蔵される他、川瀬一馬氏は巻46書影を提示している。

磯部彰(2000年12月5日)


(注1)
川瀬一馬氏『五山版の研究』(A・B・A・J、1970)
(注2)
『日本古典籍書誌学辞典』(岩波書店、1999年)P458「白山版」(岡崎久司氏)では、白山版は実は佐々木祟永版を用いた刊本ではないかという学説を紹介している。
(注3)
磯部 彰「加陽所見宋元版・旧鈔本・古活字本提要」(『富山大学人文学部紀要』第9号、1985年)