〜元大徳九路儒学『北史』100巻(明嘉靖逓修 南監二十一史本 30冊)〜

 

 宋代に『史記』以下の十史あるいは十七史が叢刻されることはごく稀であった。現存本では、南宋中期に建安で黄善夫以下の書肆が十史を出したと推定されるばかりである。

 それと明らかなのはこの『北史』を含む十史が最初で、元大徳9年(1305)から江東建康道粛政廉訪司が管下の九路儒学に刊刻させたものである。そのうち『北史』は信州路が担当し、100巻の前半を信州路儒学が、残りを同路の象山・稼軒・藍山・道一の各書院、玉山・戈陽・上饒・貴渓の各縣学と永豊儒学が分担した。これらの名は版心上象鼻に刻されたが、明嘉靖の補修の際にその大半が削られ、この本にはわずか数箇所に残るにすぎない。

 明の嘉靖の一桁代に、南京国子監は二十一史をセットとして印行しようと計った。『史記』『漢書』『後漢書』の三史は同7年(1528)新雕されたから、あるいは二十一史を新たに叢刻する大事業を目論んだのかも知れない。しかし『三国志』以下は既存の宋元刊本の版木を同8年から12年にかけて補修し、版式や字様はまちまちにともかく数を揃えることになった。その中でこの『北史』は、『隋書』『南史』『唐書』『五代史記』とともに九路儒学本が用いられたものである。

 いまこの100巻30冊の全葉(欠5葉)を検すると、元大徳の原刻葉は過半はもちろん、2/3は残っているやにみえる。ただし版心の儒学や書院の名は、前述の通りほとんど削り落とされて、わずかに「信州路儒学刊」「(信州路)象山書院刊」「玉山県学刊」「永豊儒学刊」の類が一、二箇所ずつ洩れ残るだけである。明南京国子監としては、元の、地方の機関の刊と明記したままでは具合が悪かったのであろう。静嘉堂文庫や台北の国家図書館に嘉靖2年の補刊記を少なからず刻する修本があり、これもわずか数年前の南監本であるが、ここには路儒学名が大量に残存している。

 各冊首の副紙に「正徳六丙申」印が捺され、そのころ(1716)には舶載されていたことを示すが、その下の「談峯/寿命/院印」がわからない。毎冊首の「西條邸/図書記」によって、その後は伊予西條藩の蔵書であったと知られる。「半庾/園」「耑/文」、「雁門/世家」等の蔵印は明人または清人のものであろうか。

 いまや元版も首尾完好の大冊が市場に出るのは稀になった。「東アジア出版文化の研究」が縁で、この本が東北大学図書館の蔵するところになったことを慶びたい。

 

帝京大学   尾崎 康

元・大徳九路儒学刊『北史』書影

 

↑目録首 半葉(原刻葉)              ↑第1冊副紙         

 

↑本紀巻十二第19葉表              ↑本紀巻一第1葉表