平成20年度より開始した特別推進研究「清朝宮廷演劇文化の研究」が、平成25年3月をもって、5年間の研究期間を終了することとなりました。
これまで、総合研究会16回、公開研究会1回の開催の他、研究成果集Ⅰ~Ⅶの刊行をした他、各研究分担者の論文・著書・講演等で研究成果公開をしてきました。
研究会や成果集については、同HPの「研究状況」等で報告しておりますが、ここでは、最終の研究会となった第16回研究会の報告と、総括報告書を掲載し、当研究の総括報告を致します。
5年間の研究期間はここで一区切りとなりますが、清朝宮廷演劇文化研究の重要性は更に増していますので、研究組織の形態は変わっても今後に亘って継続し、当該分野のリーダーとして活動を続けたいと思います。
<プログラム>
〔第1日目〕
13:20~14:50 |
基調講演 丁 汝芹(北京市芸術研究所) 司会:金 文京(京都大学)
「清宮演劇再探」
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15:05~15:35 |
成果発表Ⅰ 小松 謙(京都府立大学)
『鼎峙春秋』古本戯曲叢刊九集本と北平図書館本の関係について
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15:45~16:15 |
成果発表Ⅱ 加藤 徹(明治大学)
「昇平宝筏」と京劇「大鬧天宮」―李天王の歌詞を比較する―
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16:25~16:55 |
成果発表Ⅲ 磯部祐子(富山大学)
《九九大慶》戯の特徴―<秘閣煥堯天>と<天香慶節>を例に―
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17:05~17:35 |
成果発表Ⅳ 中見立夫(東京外国語大学)
モンゴル王侯にとって清朝宮廷演劇とは
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〔第2日目〕
9:45~10:15 |
成果発表Ⅴ 杉山清彦(東京大学)
大清帝国の支配構造と宮廷演劇──マンジュ王朝の儀礼と政治──
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10:25~10:55 |
成果発表Ⅵ 大塚秀高(埼玉大学)
宋の太祖趙匡胤をめぐる清朝宮廷演劇―『前盛世鴻図』を中心に―
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11:05~11:35 |
成果発表Ⅶ 陳 仲奇(島根県立大学)
文化大革命時期の「革命様板戯」について
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午後の部
13:30~14:10 |
招待発表 石 雷(中国社会科学院) 司会:高橋 智(慶應義塾大学)
「十年来中国戯曲研究的現状与前瞻」
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14:20~14:50 |
成果発表Ⅷ 磯部 彰(東北大学)
『昇平宝筏』の研究
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15:10~16:20 |
総括 ―特別推進研究「清朝宮廷演劇文化の研究」を振り返って―
司会:研究代表者 磯部 彰
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第16回 特別推進研究「清朝宮廷演劇文化の研究」 研究会
2013年3月9日・10日 於 仙台市戦災復興記念館
基調講演
「清宫演剧再探」
丁汝芹先生(北京市芸術研究所)
講演要旨
清王朝注重对传统文化的接纳和传承,戏曲寓教于乐的功能获得认可。能够贯穿于清代宫廷二百余年的娱乐,非观剧而莫属。
入关后不久,清内廷演戏已然成风。顺治年间从民间选入优伶,朝臣颇有微词。女优并未如同官书所载终止于顺治八年,而是持续了将近百年之久。
以往戏曲史常称清廷施行文化专制主义,扼杀民间戏曲艺术。是不是清政府真正曾对新生民间戏曲持查禁的立场?其实,曾列为花部戏曲的弋阳腔早在康熙年间即步入内廷,地位与昆曲相当。乾隆年间地方戏曲盛行,有地方三小戏演出色情剧目,被朝廷认作狭邪悖乱,有伤风化,以致查禁,其实并非一定针对某种新兴戏曲腔调。花部戏(内廷称侉戏,或称乱弹诸腔)何时进入内廷,一直是研究的焦点之一。乾隆三十一、二年演出侉戏的文献,或能引发重新的思考。
乾隆年间清宫演剧编制分工明晰,管理井然有序,优伶人数众多。万寿期间演出更是达到了空前的顶峰,不仅内廷戏演出规模恢弘,外地戏班也涌入京城,衢歌巷舞,诸腔杂陈,以示庆贺。依据历史文献分析,京城的庆典祝寿不是单纯自发的民间行为,实际出自官方的刻意操办和缜密组织。客观而言,外地戏班进京祝釐,有益于戏曲的繁荣,乾隆五十五年徽班进京,促成了多种声腔融汇,至今被公认为京剧形成的发端。
成果発表Ⅰ
『鼎峙春秋』古本戯曲叢刊九集本と北平図書館本の関係について
小松謙(京都府立大学)
発表要旨
『鼎峙春秋』には 古本戯曲叢刊九集本と北平図書館本という二種のテキストが現存する。両者は、全二百四十齣中五十齣以上の内容を異にしているが、その他の齣については大きな異同が認められない。古本戯曲叢刊本が劉備以外の物語をあまり語らず、末尾に長い諸葛亮南征の物語を持つのに対し、北平図書館本は、前半において曹操・孫策らの物語を詳細に語り、劉備の即位で終わってしまう。両者の内容を詳細に検討すると、北平図書館本では全く不必要に登場する董祀という人物が、実は古本戯曲叢刊本には存在する部分では重要な役割を持っていること等から考えて、古本戯曲叢刊本がオリジナル、もしくはそれに近い内容を持つのではないかと思われる。異なったテキストが作られた理由は、おそらく外国使節向けの古本戯曲叢刊本に対し、三国の物語をより詳細に語り、皇帝の権威を宣揚する目的を持つバージョンが必要だった点に求められるのではないかと思われる。
成果発表Ⅱ
「昇平宝筏」と京劇「大鬧天宮」―李天王の歌詞を比較する―
加藤徹(明治大学)
発表要旨
京劇の孫悟空ものの中でも、「大鬧天宮」は舞台映えがする豪華な演目として人気がある。現行の京劇「大鬧天宮」の脚本は、清朝以来の古い「安天会」系と、新中国の改編本である「凱旋」系に二分できる。新中国で唯一、国家直属の京劇団であった中国京劇院(現在の名称は中国国家京劇院)も、翁偶虹の改編による凱旋系脚本を採用した。凱旋系脚本は、一応の結末として、天性の反逆児たる孫悟空が天兵天将に勝って凱旋する場面で終わり、その結末に向けて、旧来の「安天会」系の歌詞やセリフ、場面の順番などに改編が加えられている。
昔の京劇界では「唱死天王累死猴」という言葉があった。「大鬧天宮」の舞台では、李天王は激越な高い声で唱うので演ずる役者はのどが辛くて死にそうになり、孫悟空は立ち回りが多いので役者は体が疲れて死にそうになる、という意味である。逆に言うと、李天王の「唱段」は、今も昔も「大鬧天宮」の見せ場であった。
清朝宮廷劇の後世への影響の一例として、「大鬧天宮」の李天王の歌詞の字句の変遷を取り上げる。「昇平宝筏」故宮本・大阪本と、清末の『梨園集成』、民国期の『戯考』、現行の京劇脚本の該当部分の字句の異同を比較し、考察を加える。
成果発表Ⅲ
《九九大慶》戯の特徴―<秘閣煥堯天>と<天香慶節>を例に―
磯部祐子(富山大学)
発表要旨
万寿節に演じることを主たる目的として作られた《九九大慶》戯の中から、<秘閣煥堯天>と<天香慶節>を取り上げ、そこに込められた功績讃歌の内容と民間戯への影響について 発表する。
<秘閣煥堯天>は、北京大学に所蔵されている抄本《九九大慶》に収められているが、その内容は、乾隆帝が行った四庫全書編纂などの文化政策を嘉慶帝が継承していることを讃えるものである。一方、<天香慶節>は、『明清抄本孤本戯曲叢刊』(首都図書館編輯 線装書局)などに収められている抄本で、天から遣わされた玉兎が人間で繰り広げる喜劇であり、三角関係あり、戦いありとドラマ性に富む大戯である。同時にこの<天香慶節>にも、暹羅や緬甸と清朝の関わりが色濃く反映され、清朝の功績を讃歌するという特徴も併せ持つ。しかし、この作品は、民国になると民間における中秋「応節戯」の流行にも影響を及ぼすことになる。
成果発表Ⅳ
モンゴル王侯にとって清朝宮廷演劇とは
中見立夫(東京外国語大学)
発表要旨
本特別推進研究「清朝宮廷演劇文化の研究」において、報告者が担当した役割は、モンゴル王侯が清朝宮廷演劇、さらには清朝宮廷文化をどのように受容したかという問題である。最終報告の機会として、この問題を以下の順番に検討したい。
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清代モンゴル王侯はどのようにして清朝宮廷演劇にふれたか
―「年班」における清朝宮廷演劇の観劇―
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在京、駐京モンゴル王侯と清朝宮廷演劇
―在京、駐京モンゴル王侯という存在と、かれらの京劇愛好―
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「車王府本曲本」に関して
―「車王府」とはだれの王府か?―
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清朝宮廷演劇を愛好する「モンゴル人」とは?
―清朝体制下における清朝宮廷文化とは、そのモンゴル人王侯間における受容に関する問題 ―
成果発表Ⅴ
大清帝国の支配構造と宮廷演劇―マンジュ王朝の儀礼と政治―
杉山清彦(東京大学)
発表要旨
王朝宮廷において展開される演劇・音楽・儀礼は、君主の娯楽ではなく、王権を表象し正統化するものであり、また内政・外交の手段であった。なかんづく、明朝に代った清朝は、漢人ではなくマンジュ(満洲)人が建設し、中央ユーラシア東半に支配を広げた帝国であり、その宮廷を構成したのはマンジュ人を中核とする八旗の王公・旗人であった。そこで本報告では、この王朝をマンジュ人君主が統治し「大清」の国号を称える帝国、すなわち「大清帝国」として捉え、その下で中華王朝の伝統的礼楽と漢人社会で育まれてきた演劇・舞楽がどのように組み込まれ、変容・活用されていたかを概観する。
中華王朝の伝統的体制では、宮城は公的な政府部門の外朝と君主の私的空間である内廷とに空間上も組織上も分けられる。ところが、清代の宮廷演劇は「内府演劇」といわれるように内廷部門が掌る演芸であるが、清代の内廷は男子禁制の明代と違って王公・旗人が出入り・勤務しており、演劇関係も、実働部分は宦官が担っていたものの、管理部門は八旗の一組織として旗人が管轄していた。また、観客も王公・旗人や外藩王公など帝国支配層であり、さらにその会場は紫禁城内とは限らず、皇帝の動座に合せて北京近郊の別邸群や熱河承徳の離宮群において盛んに上演された。
このように、大清宮廷における演劇・儀典は帝国支配の担い手である八旗によって運営され、広大な帝国構成地域の領主層である外藩王公たちを主要な観衆の一つとしていたのであり、中国伝統文化の文脈だけでなく、中央ユーラシアをも視野に収めながら、政治・制度・外交の文脈から検討・位置づけていく必要がある。
成果発表Ⅵ
宋の太祖趙匡胤をめぐる清朝宮廷演劇―『前盛世鴻図』を中心に―
大塚秀高(埼玉大学)
発表要旨
清朝宮廷連台戯は、清朝を除くほとんどすべての時代にわたる歴史劇で構成されており、皇帝を含むあまたの実在、架空の人物が登場する。なかで最も多く取り上げられる人物といえば趙匡胤、宋の太祖をおいてほかにない。清朝の宮廷連台戯を集めて影印した『古本戯曲叢刊』第九集にも、いずれも清闕名撰になる鈔本、『盛世鴻図』前部十三段一百四齣後部六巻七十齣、原闕前部第十段八齣と『鉄旗陣』十五段一百三齣が収められている。『鉄旗陣』については別稿で既に論じたので、本論では『盛世鴻図』を取り上げ、あわせて『古本戯曲叢刊』第九集未収の、五代から宋初を時代背景にとる、趙匡胤、宋の太祖を主人公または主要登場人物とする連台戯の一部について報告したい。
成果発表Ⅶ
文化大革命時期の「革命様板戯」について
陳仲奇(島根県立大学)
発表要旨
政治史的視点から見れば、文化大革命は1966年5月16日の中共中央の『5・16通知』を始点とするのが一般的な説であるが、文化史的視点から見れば、1960年代の初期段階に、文化領域における文化大革命の胎動がすでに始まっていると考えられる。新編歴史劇『李慧娘』と『海瑞罷官』に対する相次ぎの批判が、文化大革命の幕あけを告げ、1964年の全国京劇現代劇観摩演出大会には、後に「八大様板戯」と呼ばれる劇の雛形がほぼ出揃っていた。
本発表は、文化大革命時期の革命様板戯に焦点をあて、革命様板戯の歴史的、社会的形成要因を分析し、毛沢東・江青の指導的役割を検討し、その思想的特徴と芸術的完成度を解析するうえで、中国社会における文化的特質および演劇の社会教育の使命を解明する狙いである。
文化大革命時期の革命様板戯は、前期・中期・後期の三つの時期に分けることができると考える。前期のものは主に革命対反革命を中心テーマとするもの、中期のものは革命対修正主義の党内路線闘争の要素が加えられ、後期のものにいたっては、人民内部の矛盾、特に内面的心の深層における大革命が語られるようになった。そのプロセスは、毛沢東理論の階級論・持続的革命論と表裏一致のものだと考えられる。
革命様板戯は文化大革命における一種の典型的な歴史産物だと言えよう。人生は大舞台であり、舞台も人生である。近年、中国で起こった薄煕来の「唱紅歌」運動の実事件を連想すると、中国社会における演劇の上述したような指導的かつ民衆参与型の役割は、いまだに何らかの役割を果たしているように思う。
招待発表
十年来中国戏曲研究的现状与前瞻
石 雷(中国社会科学院)
発表要旨
一、 |
本文是对十年来中国戏曲研究的分析,主要以中国五大核心期刊《文学遗产》、《文学评论》、《文艺研究》、《中华文史论丛》、《中华戏曲》所发表的论文为依据。
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1、 |
定本意识。当下有关经典作品的版本,文献辑录,汇校大量出现,加之大量电子资料的运用,为戏曲研究提供了丰富的资源。但是如何选择定本,在众多的版本中找到研究正确的研究基点,强化通俗文学文本的“定本”意识,仍然是值得关注的一个问题。剧本最初只是供舞台演出之用,后来又被人整理刊刻出来供人阅读。一个剧本在演出中常常会有改动,同一个戏曲,不同时代留存下来的剧本就不会雷同。因此,对戏曲作历史的研究,就必须注意到剧本刊印的年代,如元代杂剧,现在通行的是明人臧懋循编《元曲选》,那么《元曲选》剧本是不是元代的历史真貌,其实这个文本已经被臧懋循随意改动了,有的改动很大,如果采用这个文本对元杂剧的某些问题下断语,就会犯错。这一点,我所前辈吴晓铃先生就曾郑重提醒过我们:“根据不同版本的书籍,对比它们文字的异同,说明其不同的原因,并证明出哪个本子上的字是正确的。就以元人杂剧而论吧,明人臧懋循编《元曲选》便是一部极不可靠的书,因为臧氏时常主观地去胡乱删改原作。例如《赵氏孤儿大报仇杂剧》在《元曲选》里是五折,许多文学史上都大书特书这是杂剧四折的变例,殊不知元刊在《古今杂剧三十种》中的《赵氏孤儿》根本还是四折,大约臧氏看到纪君祥竟没有叙述赵武报仇的事,觉得不过瘾,于是不惜破坏元曲的惯例而去‘画蛇添足’。……这种随意删改的地方在一切明人的戏曲选集中多到可不胜数,我们必须根据善本致力恢复原作的本来面目。”(吴晓铃《我研究戏曲的方法》)
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2、 |
研究视野和方法。戏曲研究从过去较多关注作品,也开始转向了作家群体的研究,从单纯的作品分析转向了更深、更广的文学群体、文学背景的探讨,时间、空间和地域都是现在戏曲研究的重要角度。随着戏曲文献搜集范围的不断扩大,戏曲史研究的领域也在不断拓展,特别是地下戏曲文物、傩戏、目连戏等民间祭祀戏曲文献的发现,使戏曲史的研究已不再局限于文学艺术领域,而是与考古学、民俗学、人类学、宗教学、社会学等学科相互交叉包容,同时,这些学科的研究者也因不同的研究目的涉足到戏曲史研究这一领域。
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3、 |
戏曲与诗文的关系。过去的经史子集的分类中,小说属于子部,戏曲在集部,但是现在把戏曲小说更多的放在一起,因为他们有很多共通叙事的之处。其实戏曲和诗文的关系也很密切,戏剧家很多是诗人,比如吴梅村以诗而成名,但他的戏曲实是诗人之曲,很多曲文和诗文有关系。是不是有很多材料可以发掘?戏曲和诗文的关系,明清文学流派和戏曲的关系,其中深层的渊源是什么?这种突破需要学者的素养。
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4、 |
宫廷大戏的研究。宫廷大戏,国内长期以来被认为是统治阶级消遣的玩意,不屑一顾。但近年来有所转变。《清代内廷演戏史话》,从文献占有的角度对清代宫廷戏做了详细梳理,还原了许多历史事实,让宫廷大戏的面貌展现在人们面前。近十年来国内宫廷戏研究基本上还停留在文本分析,戏曲思想等方面,研究者并不是很多,论著也寥寥,是一个有待开拓的领域。海外学者的新角度及研究方法值得我们借鉴。
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成果発表Ⅷ
『昇平宝筏』の研究
磯部彰(東北大学)
発表要旨
『昇平宝筏』のテキストには(1)大阪府立中之島図書館本系、(2)北京故宮博物院本系の2つの大きな系統がある。この他、最近、康熙本があると指摘されるが、その年代とテキスト分析には疑問が多く、ここでは(1)大阪本と(2)故宮本とを代表的テキストとして取り上げる。
両系統の差異は
a)陳光蕊江流和尚物語と唐太宗入冥物語の有無
b)唐太宗親征頡利可汗物語の有無
の2点に集約される。大阪本は四色鈔本の安殿本であり、内容は清代の『西遊真詮』も近く、a)をいずれも含む。これは、乾隆帝用の安殿本である『江流記』と『進瓜記』と重なることを意味する。一方、故宮本にはa)は陳光蕊物語のみを留め、江流和尚物語と唐太宗入冥物語はない。その代わりに、b)唐太宗親征物語を持つが、これは大阪本にはない。安殿本や乾隆八旬万寿節に上演されたという面からテキストの先後を考えると、乾隆初期に大阪本が成立し、それに皇帝賛歌をより強調したテキストが故宮本と考えられる。
『昇平宝筏』総本がすべて演じられることは、他の連台大戯と同じように多くはなかったと思われる。それは、王朝の儀典戯として編撰されたことに拠る。
これに対し、『西遊記』折子戯とも呼ぶべき劇本は故宮に多く残り、内廷承応戯として欠かせないものであった。『昇平宝筏』と比べて上演回数も極端に多いと言える。
総括
特別推進研究「清朝宮廷演劇文化の研究」を振り返って
総括ポイント
(1)大戯・節戯をめぐる研究
a)大戯の種類
b)大戯のテキスト
c)大戯の特徴
d)節戯等の性格と大戯の関係
(2)清朝宮廷演劇文化と東アジア
a)ベトナム・朝鮮王朝
b)モンゴル王侯
c)琉球国・幕府(長崎・江戸)
d) チベット
(3)清朝統治と民間芸能
a)民間劇団と北京
b)宮廷での雑戯・唱本
c)旗人の芸能と統制
d)王府の演劇と統制
(4)今後の展望
第16回研究会の最後に、参加した研究分担者のそれぞれが本プロジェクトについての感想や問題点、今後の展望について、これまでの研究の分担内容とその報告を中心にまとめました。
研究組織11名の他、研究期間中に参加及び協力いただいた、若手研究協力者の方々の報告も掲載します。
今後の学術研究を担う方々の意見には、新しい研究の切り口も秘められていると思われます。
研究テーマ:清朝宮廷演劇文化の研究を振り返って
磯部 彰(東北大学・教授)
平成20年にスタートした「清朝宮廷演劇文化の研究」は、人文系では唯一特別推進研究に採択されたプロジェクトであった。研究開始前にまとめた研究史では、京劇との関係で論じる先行研究は幾つもあったが、清朝廷の宮廷演劇そのものの研究はほとんど見つけられなかった。
しかし、研究を実施してみると、民国年間に史料紹介も兼ねた中華民国の先行研究も目に入り、作品から上演、研究までが一つの底流をなしていることに気づいた。
プロジェクトでは主眼を連台大戯や節戯に置いて、東アジア諸国への影響も広く窺う予定であった。研究推進の中で、1回の研究実施調査と3回のヒヤリングを受け、ややもすれば散漫になりがちなプロジェクト運営に有益な助言をいただいた。その一つは、発足当初の人員では東アジア諸国の文化への影響を窺うには無理があるので、焦点を絞り作品研究を重視すべきであること、清朝史という枠組みで捉えるには歴史研究者の参加を仰ぐべきである、という指摘であった。学振ヒヤリングでの委員の方からの指摘を得て、3年目からは戯曲研究者2名と清朝史に係わる歴史研究者2名の参加をいただき、新しい体制で共同研究に臨むことになった。結果として、大清グルンという明代とは全く異なる社会秩序のもとで宮廷演劇が儀典戯という色彩を持ちつつも、作品ごとに役割が区別されて実施されて宣統時代を迎えたこと、その後は再び中国社会で時に前朝の朝廷をまねて上演させたり、時には権力闘争と関係して政治性を帯びて命脈を延ばしたような状況が明らかにされた、と思われる。
助言の二つ目としては、清朝演劇文化資料がヨーロッパに埋蔵されている可能性もあるので、フィールド調査すべきであるという点であった。フランスやイギリスなどに漢籍、とりわけ内府刊本や第2次アヘン戦争以降の将来品があることは知られていたが、安殿本の存在は全く知られていなかった。折しも、日本で清朝宮廷文物の展覧会や台湾での民国百年記念展覧展で、清朝の名宝が展示され、「康煕帝南巡図」などが実地に見ることが出来て、宮廷文化の一端を理解できた。この中国や台湾に残る清朝宮廷文物と同類のものが、フランスやイギリス、アメリカにもあることが共同研究の中でわかり、今後、更に調査を加えて新資料の開拓が求められる状態となった。実際、ドイツのライプチヒ民俗博物館には清帝の龍袍があったし、フンボルト大学やライプチヒ大学には明清の内府刊本が所蔵されていたことを見出した。ヨーロッパとの関係というのは資料のみならず、ヨーロッパ諸国での宮廷文化そのものと清朝宮廷文化を比較する視点から宮廷演劇文化を分析する必要もあるという意見も、プロジェクトメンバーから提示されている。5年間の研究は清朝宮廷演劇を中心とした宮廷文化研究の基礎固めではあったが、『古本戯曲叢刊』九集所収の諸作品に加えて、清朝後半に作られた大戯、『九九大慶』に収められる節戯、慶祝戯などの予定外の作品研究、清朝満洲帝国社会体制の具体的状況、ベトナム人、朝鮮朝両班、旗人社会、モンゴル人と宮廷演劇の関係、はたまた文革前後の革命的戯曲誕生と政治闘争など研究対象は設定よりもより広範に、しかも焦点は定まった形で研究を進行することが出来た。その成果は、現在の東アジアがかかえる問題解決にも一定の寄与をするはずである。若手研究協力者には、宮廷演劇に止まることなく、自己の専門についての知見を披露してもらうなどもしたので、前半少々ぐらついた研究目標は、予定通り達成されたと言えるのではないかと思っている。当プロジェクトの成果については、中国でも注目するところであり、国内国外で論文という形で成果が出される予定である。最終年度に、清朝宮廷演劇を長年研究されて来た丁汝芹先生の講演を得たのは、また大変有意義であった。
残念なことは二つ、一つは、震災で現地ヒヤリングのためお越しいただいた委員の先生方や学振の事務局の方々にお見せした研究環境が全て烏有に帰したこと、いま一つは、本プロジェクトがここで終了することである。しかし、上記二点も、四月に入れば、また新たな一歩を先に踏み出すことで、研究基盤の中に組み込まれて行くことであろう。長い間のご支援をいただいた文部科学省、日本学術振興会をはじめとした各研究機関・研究者の方々、一つ一つ御名は掲げられないが、研究代表者として心より感謝申し上げたい。本プロジェクトの御手本となった早稲田大学演劇博物館には個人的ながら御礼を申し上げたい。
研究テーマ:
平成20~22年度 楚漢春秋と春秋戦国故事の研究
平成23年度 楚漢春秋諸本の研究
平成24年度 楚漢春秋諸本と作品の研究
大塚 秀高(埼玉大学・教授)
まず本研究の研究分担者として、成果として発表した論文を挙げる。
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『昭代簫韶』と楊家将物語 2012.12 3p~46p
『清朝宮廷演劇文化の世界』(東北大学東北アジア研究センター業書第49号)
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『鉄旗陣』と『昭代簫韶』2013.3 73p~124p
埼玉大学大学院文化科学研究科博士後期課程紀要『日本アジア研究』10
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「楚漢」と『楚漢春秋』2013.3 125p~156p
埼玉大学大学院文化科学研究科博士後期課程紀要『日本アジア研究』10
次に本特別推進研究「清朝宮廷演劇文化の研究」研究会などでの口頭発表を挙げる。
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『楚漢春秋』(10本240齣)と楚漢物語
第4回研究会 2010.2.6 東京・フォーレスト本郷
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『昭代簫韶』をめぐって
第12回研究会 2012.4.21 東京・サピアタワー
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『鉄旗陣』と『昭代簫韶』
第14回研究会 2012.10.21 東京・サピアタワ-
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宋の太祖趙匡胤をめぐる清朝宮廷演劇─『前盛世鴻図』を中心に─
第16回研究会 2013.3.10 仙台市戦災復興記念館
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清朝宮廷連台戯「鉄旗陣」与「昭代簫韶」 第五届小説戯曲研討会 2013.3.29-30
中華民国嘉義市嘉義大学民雄校区大学館国際会議庁
[ 総括 ]
これまで読み物としての小説が主要な研究対象であり、それを版本中心に研究してきたが、繰り返し上演され、そのたびごとに特定の目的によって改変される清朝宮廷演劇の劇本(鈔本)を研究する楽しさを今回知った。清朝宮廷演劇は皇帝により、皇族や女官のみならずモンゴルや満洲の貴族らが見せられたものであって、その意味で極めて政治的なものであったのだが、これまでの研究はこの点にまったく無知であったといってもよい。筆者の上記の研究成果はその点に重点を置き、どういう目的で研究対象とした連台戯が書かれ改作されたかを論じたものである。今後も引き続いて研究を深めてゆきたい。
研究テーマ:朝鮮燕行使が見た清朝演劇
金文京(京都大学・教授)
清朝時代、毎年のように北京を訪れた朝鮮の朝貢使節、すなわち燕行使が残した旅行記録である「燕行録」には、彼らが見聞した清朝の宮廷および民間の演劇についての記述がみられる。本研究は、これら「燕行録」中の演劇記事について、先行研究を踏まえながら、その性格と意味を考えてみようとするものである。
特に1790年(乾隆55)、乾隆帝80歳の誕生日(万寿節)を祝うため派遣された進賀兼謝恩使節の副使であった徐浩修の『燕行紀』には、この時、熱河の離宮および北京の円明園で上演された演劇および儀礼についての詳しい記述がある。近年刊行された『越南漢文燕行文献集成』に収める潘輝益『星槎紀行』など、この時やはり乾隆帝の万寿節を祝うため派遣されたベトナム使節の記録にも、同様の記述が見え、両者を比較することで、当時の上演についてより詳しく知ることができるだけでなく、両使節の交流の実態、また両者の中国演劇に対する考え方の相違などを明らかにすることができる。
また朝鮮の「燕行録」には、少数ながらハングルで書かれたものがあるが、そこには漢文本にはない内容が間々見られる。たとえば1766年(乾隆31)の使節に随行した洪大容の『乙丙燕行録』は、漢文版の『湛軒燕記』とほぼ同内容ながら、記述はより具体的である。特に彼が北京正陽門外の劇場で見た演劇についての詳細な記録により、その時、彼が見た演目が、明の朱素臣『翡翠園』であったことが特定できるが、これは清代北京の劇場における上演記録として、もっとも早いものであろう。
当時の朝鮮は、清朝だけでなく、日本にも外交使節を派遣していた。いわゆる通信使であるが、彼らは江戸城で上演された能を見て、それに関する記録を残している。これを「燕行録」の記録と比較しながら、東アジアにおける宮廷演劇および相互の交流とその意味について考えてみたいというのが、本研究のもうひとつの目的である。
研究テーマ:節戯について
磯部 祐子(富山大学・教授)
研究の経緯と主たる成果:
研究の開始にあたり、清朝宮廷戯関連の研究書及び主要論文を調査して、研究分担者に提示し、その後研究の基礎となる清朝宮廷劇の種類および劇本の特徴を明らかにした(『ナオ・デ・ラ・チーナ ~清朝宮廷演劇文化資料研究~』所収)。同時に、本プロジェクトの骨子である宮廷大戯が多数収められている『古本戯曲叢刊第九集』について、呉暁鈴の二序の翻訳と比較を通して、各大戯の内容および編集の意図等を考察した(『ナオ・デ・ラ・チーナ ~清朝宮廷演劇文化資料研究~』所収)。
一方、青木正児旧蔵内府本『如是観』の原典紹介と劇本の分析により、乾隆帝の戯曲観及び戯曲政策を考察した(「清朝宮廷演劇文化の研究」研究成果集Ⅰ『東北大学附属図書館蔵「如是観等四種」原典と研究』、「日本所蔵内府鈔本『如是観』四種劇本之研究」『文学遺産2012・第4期』所収)
分担研究事項の、節戯研究では、主に月令承応戯について紹介及び考察を行った(「清朝宮廷演劇文化の研究」研究成果集Ⅵ『清朝宮廷演劇文化の世界』、「略論節戯中的月令承応戯」『古典戯曲辨疑與新説國際學術研討會論文匯編』所収)。また、九九大慶戯と節戯との関係についても発表した。
この一連の研究によって、主に、①乾隆帝時の戯曲政策、②月令承応戯の意味と特徴及び劇本の変遷、また③九九大慶の一端とその上演状況の変遷、④節戯と民間戯との関わり等を明らかにすることが出来た。⑤また、内府本「天香慶節」は本来、崑腔の九九大慶戯であったが、清末には京劇による中秋節戯としても上演され、民国には民間における中秋「応節戯」の流行にも大きな影響を及ぼすことになったことを明らかにした。これは、京劇本「天香慶節」は、民国期に作られたとする従来の説にも異を唱えるものであり、同時に清末民国京劇隆盛における内府劇の具体的影響関係を示すことにもなった。
問題点と今後の課題:
本プロジェクトの研究期間とほぼ同じくして、中国から多くの関連の戯曲叢刊(『明清抄本孤本戯曲叢刊』(首都図書館編輯 線装書局)、『綏中吳氏藏抄本稿本戯曲叢刊』(呉書蔭主編 学苑出版社)、『故宮珍本叢刊』(故宮博物院編 海南出版社)が出版され、これまで直接目にすることが出来なかった劇本の使用も叶うようになった。しかし、それらは、おびただしい劇本の一部でしかないことも判明した。たとえば、北京大学図書館蔵『九九大慶』、中国国家図書館蔵『節節好音』など公刊されていない善本が未だ多い。数回の実地調査を通じて、この研究の困難と煩瑣と継続の必要性を痛感させられた。また故宮博物院に蔵されているという未公開の劇本の調査も必要である。これらの劇本の解明により、宮廷戯の特質と変遷が更に具体的に明らかにされるものと思う。
節戯のうち、幾つかの大戯の形で集成される作品群については着手できなかった。同時にやはり年中行事である万寿節上演の九九大慶戯の詳細な比較も今後継続して行うべき課題である。これらの解明によって、清朝宮廷の戯曲観と文化政策、中国における文化のあり様が更に明らかになると思われる。
研究テーマ:内府本出版文化の研究
髙橋 智(慶應義塾大学・教授)
本研究は、特定領域研究「東アジア出版文化の研究」、「アジアアフリカ学術基盤形成事業」に引き続き参加したこともあって、グローバルな書誌学研究から、内府という宮廷文化の基本構造を明確にしようという、かなり具体的な研究方向へと向かっていく途次、困難ではあるが、基盤研究を開始する必要性がある必然的なテーマであったと、今振り返ってつくづくと感じるのである。
宮廷演劇の劇本の鈔写や出版に関わる事情は、夥しく行われた内府本の鈔写と刊刻を先ず把握する必要がある。折しも北京大に於ける在外研究(平成21年~22年)の間、北京大を中心として大陸各処所在の明清内府本を調査、その所在は意外と少ないことに気づく。成果報告書にその書目を掲げるが、一方、台湾故宮所蔵の内府旧蔵本は、何版も繰り返す内府蔵版本があり、そのもととなった鈔本も同時に調査することができた。清初の『資政要覧』『帝範』『帝学』など宮廷の政治に必要な書物の鈔本・刊本の成立についての資料を提供することができた。また、こうした鈔写出版の宮廷事情は、古来より続く宮廷の突出した蔵書文化に基礎をおくこともよくしられていることではあるが、とりわけ、その清朝に於ける実態がどうであったかの研究は中国でも最近行われるようになってきた。そこで、清末から、民国にかけて、清宮の蔵書がどのようなものであったか、内閣大庫の目録をたよりに翻字・研究を行い、「清宮蔵書一斑」として、本研究会、また台湾淡江大学・北京故宮博物院の各会議で、発表し、それなりの反響があった。この研究は現在、台湾故宮や国家図書館、また中国国家図書館、その前身の北平・京師図書館の蔵書源流を理解する上で、基本となること、そして、宮廷の戯曲劇本の流伝研究にも大いに参考になることが明らかとなった。出版文化と政治の関わり、宮廷と蔵書文化、更には図書館文化万般に亘る宮廷文化の基礎研究の方向性が、こうした小さな目録研究から発展させることができるという、文献学にとって極めて重要な例を物語っている。
以上、現在中国で盛んとなりつつある「故宮学」という学問の範疇に内府本・戯劇の文献研究という分野を博物館学と同様に主張できるという成果を得たことは、中国文献研究に大いなる貢献を果たしたと思われるのである。
研究テーマ:中国現代演劇資料出版文化の研究
陳 仲奇(島根県立大学・教授)
本研究の目指す目標は中国現代演劇資料の出版文化を通して、中国現代演劇と中国共産党政府の文化政策の関係史実を調査し、中国社会全体に対する影響を解明することである。
平成20年度本研究がスタートしてから、最初の2年間は主に現地調査に力を入れた。調査は主に北の北京中華書局、北京大学、社会科学研究院、吉林市北華大学と、南の上海復旦大学、紹興文理学院、浙江省嵊州市施家岙越劇基地などの二つのルートで実施した。北ルートの調査目的は牛子厚と京劇科班「喜連成」の関係を解明するところにあり、南のルートは女子越劇の発源・発展の把握にある。その成果が「牛子厚と京劇の科班『富連成』について」という研究発表である。
平成22年度には、筆者が本務校のサバティカル研修のチャンスを利用して、アメリカのカリフォルニア大学バークリー校、ロサンゼルス校、サンディエゴ校、スタンフォード大学、コロンビア大学などを訪問し、東アジア関係の資料、特に現代中国の演劇関係資料を調査した。その成果が二つの翻訳文書である。
平成23~24年度は、1958年~1963年に出版された『中国地方戯曲集成』を中心に、中華人民共和国の建国(1949年)以後の知識人政策と文芸方針の相関関係を調査研究した。特に文化大革命時期の「革命様板戯」をめぐって、毛沢東本人との関わり、文化大革命の「旗手」と言われた江青の発揮した役割を研究した。
5年間の研究期間は終わったが、研究そのものはまだ始まったばかりである。これからも引き続き研究に専念し、すでに入手した関係資料を整理分析して、関係論文を順次完成させるつもりである。
研究発表
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「牛子厚と京劇の科班『富連成』について
第3回特別推進研究「清朝宮廷演劇文化の研究」研究会
平成21年7月19日 東京都 フォーレスト本郷
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『中国地方戯曲集成』の編集出版について
第10回特別推進研究「清朝宮廷演劇文化の研究」研究会
平成23年12月3日(土) 慶應義塾大学三田キャンパス
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新中国の戯曲改進運動について
第12回特別推進研究「清朝宮廷演劇文化の研究」研究会
2012年4月21日 東北大学東京分室
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中国1950年代の新編歴史劇と革命現代劇について
第15回特別推進研究「清朝宮廷演劇文化の研究」研究会
2013年1月13日 東北大学東京分室
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文化大革命時期の「革命様板戯」について
第16回特別推進研究「清朝宮廷演劇文化の研究」研究会
2013年3月10日 仙台市戦災復興記念館
出版した論文・資料・翻訳など
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(論文)『中国地方戯曲集成』の編集出版について
島根県立大学 総合政策学会『総合政策論叢』(第23号) 2012年3月 P139-156
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(翻訳)ユニークで優れたコレクションを目指して―カリフォルニア大学サンディエゴ校東アジアコレクションの開発についての回顧と展望―
島根県立大学 総合政策学会『総合政策論叢』(第22号) 2012年2月 P107-119
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(翻訳)ユニークで優れたコレクションを目指して―カリフォルニア大学サンディエゴ校東アジアコレクションの開発についての回顧と展望―
島根県立大学 総合政策学会 『総合政策論叢』(第22号) 2012年2月 P121-136
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(資料)『中国地方戯曲集成』劇目あらすじ一覧
『清朝宮廷演劇文化の世界』(東北大学東北アジア研究センター叢書第49号)、磯部彰編著、2012年12月10日、P293~349
研究テーマ:清朝宮廷演劇文化の周辺および後世への影響
加藤 徹(明治大学・教授)
清朝宮廷演劇文化は、脚本・演目の継承という直接的影響と、刺激伝播や外見的模倣などの間接的影響の両面において、後世へ影響を与えた。
筆者の専門は京劇研究だが、「明清楽」の研究も行っており、研究範囲は本研究の「総括ポイント」(3a)「民間劇団と北京」と 、(2 c)「琉球国・幕府(長崎・江戸)」にまたがる。
本研究会では、メンバーの中から「中国演劇はモンゴル・朝鮮・日本・ベトナムなど周辺諸国に影響を与えていない」という指摘もあったが、少なくとも江戸時代の日本(琉球国および幕府)では中国演劇の影響が見られた。琉球の宮廷では、清の宮廷演劇と演目は異なるものの、中国語による中国劇が上演されていた。「鎖国」時代の幕府も、演劇を活用した。「江戸上り」の琉球使節に江戸で中国語劇を上演させ、来日した朝鮮通信使に江戸城で能楽や雅楽を見せ、長崎の唐人屋敷では中国劇の上演を幕府の役人が見聞し、絵図と文書による記録を保存した。外交や儀礼の文化装置としての演劇を活用するという発想は、中国の宮廷演劇と相通ずるものがある。筆者は本研究の3年目 (平成22年度)から参加したが、他の研究者による成果発表を通じ、モンゴル王侯、朝鮮燕行使・朝鮮通信使など、他の「周辺」における中国劇の状況についての知見を得ることで、自分の研究分野についても大きなヒントを得た。
清朝宮廷演劇文化の後世への影響も大きい。清朝においては、臣下が皇帝のまねをすることは禁じられていた。逆説的だが、清が滅亡し、そのような制約が消えたあと、かつての皇帝のステイタスにあこがれる政治家や富裕層は、宮廷演劇を模倣できるようになった。民国初年における「堂会戯」の流行や、中華人民共和国における国家主導の脚本改編事業、国家の正統性を内外にアピールするための「革命京劇」の制作にも、清朝宮廷演劇文化の直接的・間接的な影響を認めることができる。本研究において磯部祐子氏により明らかにされた内府本「天香慶節」の京劇化や、筆者が成果発表で報告した「昇平宝筏」から現行の京劇「大鬧天宮」までの歌詞の継承などは、脚本・演目面での直接的影響である。
本研究によって明らかになった多くの知見が、今後、近現代の中国の特質や、中国と「周辺」の関係を再考する研究でも活用されることを期待する。
研究テーマ:宮廷大戯『如意宝冊』『鼎峙春秋』『勧善金科』の研究
小松 謙(京都府立大学・教授)
三つの宮廷大戯について内容を把握し、小説本文との関わりや、素材として用いられた先行する演劇作品などを確認することにより、そのシステマティックな制作過程をある程度明らかにすることができたのは、一応の成果であったと思われる。また、その過程で三国志や目連の物語の性格について新たな認識を得たこと、今日では失われた演劇作品の内容をある程度知ることができたことも収穫であった。
一方で、明の宮廷演劇との関わりを明らかにすることも期待されていたわけであるが、これについては、直接的継承関係は認められないという結果に終わった。両者の間に何ら継承関係がないとは考えがたいが、これは一つには明の宮廷演劇が基本的に北曲雑劇であったのに対し、清の宮廷演劇は、大戯について言えば崑山腔・弋陽腔の南曲を用いていることに由来するものかもしれない。
残された課題としては、『勧善金科』のいわゆる康煕旧本を眼にしていないことをはじめ、すべてのテキストを見ているわけではないという点があげられる。『勧善金科』の康煕旧本と古本戯曲叢刊本、『鼎峙春秋』の古本戯曲叢刊本と北平図書館本がそれぞれ大きく内容を異にする点からすれば、他にも異なる内容を持つテキストが存在することが予想される。ただ、現在可能な範囲でテキストの比較を行った結果、場に応じて異なったバージョンが制作されたらしいことが明らかになり、さきにふれた制作方法から考えても、大戯について、宮廷儀礼というシステムの一部として機能的に制作されるものという性格が浮かび上がってきたことは一つの収穫と言えるのではないかと思われる。この点は、歴史学の視点からの解明が待たれるところであり、今回のような共同研究はその点で有効な意味を持つものであったと思われる。
なお、研究会で問題になっていた中国演劇がなぜモンゴル・朝鮮・日本・ベトナムなど周辺諸国に影響を与えていないのかという点であるが、会場では発言の機会がなかったので、この場を借りて意見を述べておきたい。演劇とは、音声の形で聞く言語によって受容されるものであり、必然的に言語を異にする地域に直接伝播することは、西欧によるグローバル化が始まる近代以前においてはほとんど考えられない。ヨーロッパのように比較的近い言語を使用する共通の文化圏に属する地域であれば、支配層・知識層においては別言語による演劇を受容することはありうる(例えば各国でイタリア語のオペラが上演されるなど)が、それとても庶民層には波及しがたいものであり、庶民向けにはドイツではジングシュピール、フランスではオペラコミーク、スペインではサルスエラといった各国の言語を使用した歌劇が行われている。従って、言語を異にする中国の演劇をモンゴル・朝鮮・日本・ベトナムがそのまま受容することは初めから考えられないことといってよい。この点については、筆者が以前に能は元雑劇の影響で成立したという説についての検証を行った際に論じたことである。この説を唱えた新井白石・荻生徂徠は、漢字文献により中国の強い影響を受けたために、演劇においても同様のことが起きたと考えたわけであるが、直接中国人と接触する機会が乏しかったために、中国語学習を主張した荻生徂徠ですら、文字を媒介とする場合と、音声を媒介とする場合では、全く状況が異なることを理解できなかったものと思われる。従って、中国演劇がそのままモンゴル人に受容されなかったのは当然であり、これは例えば中国人が同時代の西欧のオペラを見ても理解できなかったであろうことと同様である。中国文化の伝播はあくまで文字を媒介とするものであり、その範囲では強い影響力を持っていたことは間違いない。
このことは、清朝宮廷演劇の特徴をも示すものであろう。アジア帝国であった清は、理解できるか否かにかかわらず、周辺諸国の人々に中国演劇の形式による皇帝讃美・諸国服属の演劇を見ることを要求したのである。これを見ること自体が、清への服属を示す行動だったのであろう。その点でも、清朝宮廷演劇とは、アジア支配のシステムの一部をなすものだったのではないかと思われる。
研究テーマ:清代外藩モンゴル王侯と清朝宮廷演劇
中見立夫(東京外国語大学・教授)
報告者の特別推進研究のなかでの研究課題は、清代外藩モンゴル王侯が清朝宮廷演劇をどのように受容したかという問題であった。この研究課題にそって、研究実施期間(平成22~24年度)に、研究会へ参加し報告をおこない、米国、韓国、台湾等に出張し資料を収集すると同時に、すでに数編の関連論文を発表している。最終研究報告論文として、「北京への途―外藩モンゴル王侯による「年班」と清朝宮廷文化の受容―」を執筆し提出した。
清朝宮廷演劇の主要な観衆(「文化」としての演劇の受け取り手)がモンゴル王侯であり、清朝によるモンゴル支配が確立した時期以降、モンゴル王侯が北京へ赴く機会(「年班」)において、宮中演劇が上演された。だが、この清朝宮廷演劇系の文化が、モンゴル王侯を通じて、モンゴルの演劇「文化」に影響を与えることはなかった。ただ北京に在住するモンゴル王侯のなかには、この清朝宮中演劇に心酔するものもあり、代表的な事例が「車王府本曲本」として、中国演劇史上で知られるモンゴル王侯の事例である。「車王府」の「車」とは誰をさすのか、モンゴル・満洲史の立場から検討した。
研究会に参加して、ほかの研究分担者の報告から、琉球の事例を除き、朝鮮およびヴィエトナムなど、いわゆる「東アジア文化圏」において、清朝宮廷演劇系の「文化」は受容されることはなかったことが明らかとなった。このことは「文化」の受容とは、他者にとっては、あくまでも選択的であることをしめすものであろう。だが一部とはいえ、北京在住のモンゴル王侯が清朝宮廷演劇に心酔したのは如何なる理由があったのであろうか。
報告者は、元来、東アジア国際関係史を専攻するもので、演劇史は全くの門外漢であったが、報告者にとり未知の領域から「文化」の受容という問題を考える機会をえたことに深く感謝したい。
ただ宮廷演劇文化あるいは音楽文化は、中国だけではなく、ヨーロッパ、あるいは東南アジア、イスラーム圏にもみられるものである。そのような地域の演劇史・音楽史の参加があれば、国際的な 比較の視点から、清朝宮廷演劇文化の普遍性と特異性が、より鮮明となったのではないかと考えられる。
研究テーマ:大清帝国の支配構造と宮廷演劇
杉山 清彦(東京大学・准教授)
王朝宮廷において展開される演劇・音楽・儀礼は、君主の娯楽ではなく、王権を表象し正統化するものであり、また内政・外交の手段であった。なかんづく、明朝に代った清朝の宮廷を構成したのは、漢人ではなくマンジュ(満洲)人を中核とする八旗の王公・旗人であり、またそこに招かれたのは、モンゴル王公やチベット仏教僧であった。では、そこで展開される演劇・祭礼はどのような意味をもち、誰によって担われたのか。そこには、清代独特の特質がみられるはずである。本科研の基本視座は、このように「中華王朝・清朝」としてのみではなく、それをも一面とするユーラシアの帝国「大清グルン」としてこの王朝を捉えようとするものであり、それに歴史学の分野、就中マンジュ語史料を用いる八旗制度史研究の立場から協力することができた。
清宮廷の特徴の第一は、前代までと同様に内廷・外朝の区別がありながら、運用面においてきわめて柔軟であり、内外を問わず八旗が運営を担ったという点である。清代の宮廷演劇は、「内府演劇」といわれるように内廷部門が掌る演芸であるが、清代の内廷には王公・旗人が出入り・勤務しており、演劇関係も、実働部分は宦官が担っていたものの、管理部門は八旗の一組織として旗人が管轄していた。八旗は単なる軍事組織ではなく、広く文武の官員・士卒の人材供給源として機能する社会集団であり、清の宮廷組織として知られる内務府は、八旗のうち皇帝直属の上三旗の家政部門で構成されたものであった。このように、清宮廷は組織・マンパワー両面で、八旗によって支えられていたのである。第二は、宮廷が移動するという性格をもっていたことである。清皇帝は熱河の避暑山荘に頻繁に滞在したほか、しばしば各地への巡幸を行ない、さらに北京にあっても、円明園や南苑など近隣の離宮に滞在・執務することが多かった。このため、皇帝に随従する組織・個人が重要な役割を果たすこととなる。それゆえ、宮廷演劇の観衆の多くは、八旗の王公・旗人とモンゴル・チベット有力者であったのである。
このように、清宮廷における演劇・祭礼は帝国支配の担い手である八旗によって運営され、広大な帝国構成地域の有力者層を主要な観衆の一つとしていたのであり、そのような点に着目するならば、清宮廷は、帝国の構造と特質を集約・体現するものであり、そこで行なわれる演劇・祭礼は、帝国構成諸集団を皇帝の下に結びつけ、その関係を可視化しようとするものだったということができよう。
研究テーマ:『忠義璇図』と『水滸伝』の関係
馬場 昭佳(大東文化大学・非常勤講師)
私はこれまで『水滸伝』の成立と受容を研究しており、その受容研究の一環として、主に乾隆年間における『水滸伝』の受容事情を探る資料として『忠義璇図』を取り扱ってきた。
この特別推進研究に参加することによって、以下の二点で『忠義璇図』に関する研究を大きく進展させられた。
1:
天理図書館などで関連資料を調査できた。
2:
清朝宮廷演劇文化を全体的にとらえる視点によって、『水滸伝』との関係だけではなく、他の宮廷演劇作品との関連性も把握できるようになった。
また、『忠義璇図』の内容や構成および『水滸伝』との関係を、「宮廷大戯『忠義璇図』について」としてまとめ、『清朝宮廷演劇文化の世界』(東アジア研究センター叢書第49号)に掲載した。
しかし、研究会を通して他の宮廷大戯に関する報告を聞くことで、新たな問題点も見つかった。
1:
これまでテキストは「古本戯曲叢刊第九集」所収本に基づいてきた。だが『昇平宝筏』や『鼎峙春秋』では、テキストによって大きな相違が見られた。よって『忠義璇図』でも他のテキストと比較検討する必要がある。
2:
これまでは物語内容に焦点を当てて追究してきた。だが『昇平宝筏』や『盛世鴻図』などでは、康煕帝の時代のガルダン遠征を踏まえた部分が見られるように、制作当時の政治事情が強く反映されていた。よって『忠義璇図』にも同様の点があるのかどうか調べる必要がある。
以上の点についての解明は、今後の課題としたい。
研究テーマ:明清期中国社会における演劇文化
村上 正和(日本学術振興会特別研究員(東洋文庫))
これまでの研究を通して、宮廷演劇とその演目の性格については、多くのことが明らかになったように思う。個人的にも、個々の演目の具体的な内容や政治的な背景が理解できたことで、研究上裨益されるところが大いにあった。節戯が民国になって民間で上演されていたという事実も興味深く、今後宮廷演劇に限らず、宮廷文化と民間文化のつながりを考えていく際に、非常に重要な点になると思われる。
なお本特別推進研究の第9回研究会で、清朝が主催した万寿盛典について報告させていただき、多くの有益なコメントをいただいた。周知のように、清朝主催の万寿盛典が民間の演劇文化の展開に大きな影響を与えていたのであるが、今後この点をより掘り下げて、清朝宮廷演劇と民間演劇の相互関係を考えていく上では、王府の劇団に注目することも有効ではないかと思われる。王府の劇団の中には、民間の劇場に出演するものもあり、その劇団員には宮廷出身者も民間出身者も含まれていた。私自身の今後の研究課題として、人の移動という点からも、宮廷演劇についてアプローチしてみたい。
また最後になりますが、若手研究協力者として毎回の研究会で多くのことを学ばせていただいたことに、改めて心より御礼申し上げます。
研究テーマ:章回小説と出版文化の関わり
上原 究一(東京大学・博士課程)
本特別推進研究では、研究会が回を重ね、個々の宮廷大戯作品の成立過程やテキストの問題を明らかにする報告が数多くなされることによって、宮廷大戯は多くの作品が伝本(殆どが一点ものの抄本か、或いは発行部数はさほど多くなかろうと思われる豪華な彩色套印本かである)ごとにテキストに大きな異同を生じていることが明らかになり、清朝の政治的思惑を背景とする大幅な改変がなされたと考えられる例も少なからず指摘された。
ところで、筆者は本特別推進研究の第九回研究会(平成23年9月)において、宮廷大戯『昇平宝筏』の源流となった章回小説である百回本『西遊記』につき、早期版本の系統分けや、それぞれの出版の背景に関する報告の機会を与えて頂いた。周知の通り、『西遊記』に限らず明代の章回小説の多くは、大量生産される商業出版物として消費され、刊行される度に様々な形で手を加えられて、刊本の形で多種多様なテキストが存在することになったものである。つまり、章回小説と宮廷大戯は、民間と宮廷、営利と非営利、大量生産と限定生産、などの点において相反する性格を持っていながら、一つの作品について多様なテキストが存在するという点では一致している。無論、それが当て嵌まるのは何も両者に限ったことではなく、洋の東西を問わず芸能や通俗文芸には普遍的な現象であろう。宮廷大戯において多様なテキストが生み出された背景には、上演の度ごとの清朝の政治的意図が隠れている場合ももちろん少なからず存在するだろうが、宮廷大戯が完全に儀式化・様式化したものではなく、芸能・通俗文芸としての性格も多かれ少なかれ残していたからだということもあり得よう。どこまでが普遍的な現象で、どこからが宮廷大戯独自の特徴であるかについては、今後更なる考察を深めて行くべき課題かもしれない。
なお、個人的には、宮廷大戯となった章回小説とならなかった章回小説との差異がどこにあったのかや(例えば隋唐交替期を描く作品は何故無いのかなど)、所謂「講史小説」に材を取った宮廷大戯と、同じく「霊怪小説」に材を取った宮廷大戯とが、当時の意識において同一ジャンルに属するものと看做されていたのか、それとも両者を区別する意識がどこかしらにあったのか、といったような疑問が浮かんだ。いずれも答の出る問いではないかもしれないが、心に留めておきたい。