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研究の概略

研究期間    :

平成20年度~24年度(5年間)

研究代表者 :

磯部 彰(東北大学東北アジア研究センター・教授)

研究分担者 :

大塚 秀高(埼玉大学・教養学部・教授)
金 文京(京都大学・人文科学研究所・教授)
鈴木 陽一(神奈川大学・外国語学部・教授)
磯部 祐子(富山大学・人文学部・教授)
高橋 智(慶應義塾大学・附属研究所斯道文庫・教授)
陳 仲奇(島根県立大学・総合政策学部・教授)
加藤 徹(明治大学・法学部・教授)
小松 謙(京都府立大学・文学部・教授)
中見 立夫(東京外国語大学・アジア・アフリカ言語文化研究所・教授)
杉山 清彦(東京大学・大学院総合文化研究科・准教授)

[キーワード]

①清朝宮廷演劇、②内府(内廷)演劇、③紫禁城、④北京の円明園離宮、⑤熱河離宮、⑥江南の行宮、⑦外国使節、⑧南府・昇平署、⑨昆腔

[研究の大要]

   中国演劇は、世界各地に根付く中国文化の一つの重要な文化的要素であり、中国人の共同体意識をはぐくむものです。中国の演劇は、1000年前に形式を整え、人間が持つ多面的な要素と行動を「仮想空間での人間社会」で演じ、人間の生きざまを眼に見える形にして表現しました。その一方で、中国の人々は絵そらごとであるとは認識しつつも、現実社会に演劇が持つ諸要素を重ね、社会で生きる手本ともするようになりました。演劇は中国の上下の人々に直接ふれることになり、中国人の意識形成に重大な役割を持つようになりました。
   中国でも演劇は娯楽性が強いものでしたが、清朝になると、娯楽性の強い演劇を国策のもとに、大幅に改め、宮廷演劇として国内・国外へ発信するようになりました。
   東ユーラシア地域は、清朝成立によって大清帝国(大清グルン)に組み込まれ、政治・文化・交易など多方面で影響を受けつつ、今日的世界に到っています。現在のアジア社会を考える時、清朝との歴史的関係は当然念頭に置くべきことになります。そして、清朝が今日の中国社会を形づくったことを思えば、国策として重視した宮廷演劇の持つ具体的な内容や役割などを正確に把握し、清代中国社会の実像を明確にする必要性があるわけです。
   中国演劇研究は、従来、文学史の枠内で社会の動向とは切り離されて研究されてきました。そのような中で、中国演劇の性格が大変換する清朝の宮廷演劇の本格的研究は未着手の分野でした。
   本研究では、現代中国の文化や社会構造に多大な影響を与えた清朝の宮廷演劇文化を、主要な5つの視点から分析します。

①  大戯と呼ばれる長編作品の内容と小説との関係、
②  清朝の文化政策としての宮廷演劇の性格、
③  中国近現代の地方劇に与えた影響、
④  清朝が外国使節に宮廷演劇を見せたねらいと東アジア世界の芸能への影響、
⑤  現代中国の宮廷演劇資料の整理と出版にひそむ政治性

   以上の点を共同研究の形で国外の研究者の協力を求めながら、分担して研究を進めます。成果としては、大戯などの作者像の解明や改作本・異本の存在の紹介、宮廷演劇システムの地方劇運営者による吸収状況の解明、東アジア演劇への清朝宮廷演劇の反映、古本戯曲叢刊編集をめぐる政権の干与など、多方面での成果が予測されています。本研究の成果を従来の研究成果と併せることによって、清朝文化はほぼ体系的に解明され、延いては現代中国人の意識構造や社会秩序などに演劇が果たした機能が明らかとなり、本質的な中国理解が進展することになると考えられます。

研究の目的

   今日の中国における伝統文化は、主として明清時代に形成され、東アジア社会での文化形成に多大な影響を与えた。伝統文化の中核となったものに、演劇文化がある。中国での演劇は、宋元時代に様式を定め、明代に入ると文人によって洗練され、清代に至って宮廷演劇となり、伝統文化の結晶とも言うべき存在となった。今日、中国では文学・芸術・芸能と一体化して社会のすみずみに溶け込み、過去中国の歴史や社会規範、人間関係、美意識などを伝えつつ、多様な展開を遂げている。本研究では、演劇は中国人にとって単なる文化的娯楽に止まらず、彼らの精神構造や意識形成、或いは中華思想の広がりと深く係わり、中国文化・社会を構成する上で最も重要な分野の一つである点に着目し、宋元以来の演劇を継承しつつ、近代地方劇形成の契機を提供した清代の宮廷演劇文化を取り上げ、その性格と特徴、文化史上の役割を明らかにする。
   具体的には、清朝の宮廷演劇、つまり内府演劇の中で、王朝が重視した内府劇の大戯・節戯に属する戯曲作品焦点を当て、その内容と性格、テキストの問題、文学性、思想、後代の地方劇作品などとの関係を明らかにするとともに、東アジア世界での社会的受容の様相を分析することによって、清の宮廷が演劇に求めたねらいを明らかにする。同時に、大戯が依拠した宋元明代の小説や戯曲など歴代の文芸との相互関係から、内府劇と密接な関係にある清代での小説のあり方や出版と改訂、王朝の口語系文芸への認識などの従来看過されていた諸問題、清朝の出版政策・文化、戯曲資料研究についても分析をし、清代文学史・文化史・出版史などの方面へ新しい知見を提供し、近世中国文化研究の基盤作りをする。

全体実施計画

  • 研究は内府演劇の大戯・節戯と内府出版システム及び演劇資料研究に分別し、それぞれの研究対象によってA班(磯部彰、大塚、金、鈴木)、B班(磯部祐子)、C班(高橋)、D班(陳)という班分けのもとに、それぞれの連携研究者を加えて、フィールド調査及び文献研究を導入しつつ研究を共同で進める。
  • 全体組織の運営は、推進代表者が統括する。

概要

中国演劇とは

   本研究は、日本の文科系研究でも国際的評価の高い中国研究の、戯曲演劇文化に関するもので、100年の研究の歴史があります。
   中国演劇の特徴は、世界各地に根付く中国文化の一つの重要な文化的要素であり、中国人の共同体意識をはぐくむものです。
   中国の演劇は、1000年前に形式を整え、人間が持つ多面的な要素と行動を「仮想空間での人間社会」で演じ、人間の生きざまを眼に見える形にして表現しました。その一方で、中国の人々は擬似空間での絵そらごとであるとは認識しつつも、現実社会に演劇が持つ諸要素を重ね、社会で生きる手本ともするようになりました。演劇は中国の上下の人々に直接ふれることになり、中国人の意識形成に重大な役割を持つようになりました。

着眼点

   中国でも演劇は娯楽性が強いものでしたが、満洲人の清朝になると、伝統文化に再処理を加えて国家統治の道具にするようになる中で、従来の娯楽性の強い演劇を大幅に改め、国策のもとに整理し、積極的に国内・国外へ発信するようになりました。本研究は、清朝が国策として演劇を取り上げたことに着目しました。

問題提起

   ところが、中国演劇研究は、主に文学史の枠内で行われ、しかも社会の動向とは切り離される傾向が強いものでした。そのような中で、中国演劇の性格が大変換する清朝の宮廷演劇の本格的研究には乏しく、文学史ですら空白になっております。
   日本のアジア研究は、世界の学界をリードして参りました。ユーラシア大陸にまたがるモンゴル帝国と大清帝国の研究は世界史的にも意味を持つ国家体制・時代で、とりわけ、清朝は現代中国を形づくった大切な時代ですが、研究が手薄でした。
   近年、東北アジアや中央アジア、イスラム世界への関心の高まりから、
      満洲王朝清帝国時代
の研究に目ざましい進展があります。
   清朝は、「大清グルン」と呼び、中華帝国と外側のチベットやモンゴルなどを統治する「グルン」、つまり帝国体制の国家として、ユーラシア帝国の視点で捉えるようになりました。
   中国の演劇は、大清グルン、大清帝国の時に、国策によって宮廷演劇システムをととのえ、統治の道具となって今日に到っています。

必要性1

   近世以降、東アジアはもちろんのこと、東ユーラシアは、大清グルン体制に組み込まれ、政治・文化・交易など多方面で影響を受け、今日的世界を作っております。現在のアジア社会を考える時、その直接的な根源となった中国の、清朝時代の研究が重要な意味を持つことは明白で、その清朝が作為的にはぐくんだ宮廷演劇の果たした役割を考えることは重要な課題であろうと考えられます。

必要性2

   大清帝国の全体像を考える上で、宮廷演劇の研究の必要性を暗示する一つの資料を発見しました。清朝の離宮の一つである熱河の「避暑山庄図」です。
   避暑山荘に関する資料をいくつかつきあわせてみると、清朝の一つのおもしろい面が見えて参ります。例えば、この図で、

北京ではない、北東の山中に色彩乏しい宮殿を設けた。
宮殿の周囲にはチベット・モンゴルのラマ教寺院を配備する。
宮庭の内には、モンゴルの家のゲルや中国江南の建物や風景を再現する。
モンゴル・ベトナム・朝鮮などの使節から、イギリスの使節を熱河に呼んで謁見した。
清朝の皇帝は仏画にも描かれた。
そしてここでの最大の行事の一つが宮廷演劇でして、
熱河離宮で宮廷演劇を外国使節に見せる。
宮廷演劇には西遊記のような仏教ものがたりが目立つ。

ことを加えると新しい解釈を生み出すことができます。
   つまり、この図を新解釈すると熱河は、中華を含む大清グルン、大清帝国の満洲人の都の一つで、文殊信仰する満洲皇帝が仏教世界を演劇によって宣揚し、世界にひろめるという、理念を示した宮殿図と読み取ることができます。ユーラシア帝国としての清朝、つまり大清グルンのもとでの従来にはなかった考え方に行きつくわけです。その帝国統治に係わって重要な役割を演じたのが、宮廷演劇であり、清朝の国策であったがゆえに、その具体的な内容分析をし、役割などを明らかに研究の空白を埋める必要性があるわけです。

研究内容

   本研究では、以前実施しました特定領域研究「東アジア出版文化の研究」での東アジア政治・社会史及び文化交流史などの成果の上に立って、現代中国の文化や社会構造に多大な影響を与えた清朝の宮廷演劇文化を、主要な5つの視点から分析します。

作品の全貌
清朝の文化政策としての宮廷演劇の性格
宮廷演劇が地方劇に与えた影響
清朝が外国使節に宮廷演劇を見せたねらい
宮廷演劇資料・演劇文化資料の整理と出版にひそむ政治的問題

   本研究の成果によって、清朝演劇文化はほぼ体系的に解明されると考えます。

予測される成果

   予想される具体的な成果としては、

前代をうけた清朝の宮廷演劇の作品内容の全貌と明代小説が劇本になる文学史・芸能史上の空白が初めて明らかになる。
国家事業としての宮廷演劇が持つ政治性、そして演劇文化に政治的色彩が混入していく過程が明らかになります。
清朝宮廷演劇が、今日の中国地域文化を支える地方演劇形成に与えた影響が判明し、各地分布した地方演劇が、実は宮廷演劇に包まれていた可能性を導き出すことになるかもしれません。
清朝が外国使節に宮廷演劇を鑑賞させたねらい、外国使節が宮廷演劇をいかに理解し、自国の演劇文化と結合させたか否かが明らかになると考えられます。
これは、本研究の独創的な着目点の一つで、研究の乏しいベトナム演劇、朝鮮朝宮廷歌舞演劇、琉球舞踊・演劇、長崎唐人芝居、モンゴル演劇文化、チベット・チャム劇などの研究を進める上での大きな起爆剤となるはずです。

以上の直接的成果から、⑤現代中国人の意識構造や社会秩序などに演劇が果たした機能が明らかとなり、本質的な中国理解が進展することになるでしょう。

   本研究を遂行する組織は、3つを想定しています。

(1) 清朝宮廷演劇の作品や国策としての役割、研究資料批判、近現代中国の出版文化政策など、課題の本体を研究する研究班。
(2) 本体研究を補い資料蒐集調査に協力する外国研究者グループ
(3) 清朝史・現代中国演劇研究を進める国内連携研究者グループ

   この新たな研究分野は、日本及び外国の中国研究の水準を引きつづき高めるばかりではなく、若い研究者や学生に、ユーラシア文化研究への新たな導入口となると思われます。